トップの経営者は語る

本田宗一郎二度と味わえない震災後の歓喜の日々。ある冬の朝、後の経営者本田宗一郎は主人に、おい、小僧、今日はめっぼう忙しいや、おまえも手伝え、そこの作業着を着てといわれて、自動車の下へ泥だらけになってもぐったときは、喜びに震えたという。彼のクルマに関する初めての仕事は、自動車の下にもぐりこんで、凍てつくような地面に背をつけてのアンダーカバーの修理だった。
「おお、小僧なかなかよくやるな」
といわれて彼は天にも舞い上がる気持ちになった。しばらくは、子守と修理の兼務だったが、そのときに訪れた天災が宗一郎にとってはビッグチャンスとなったのである。
それは関東大震災だった。工場に回ってきた火の手から、預かっているクルマを守るために全員が一台ずつ飛び乗って逃げねばならない。彼にとっては生まれて初めての路上運転だった。
しかし、このクルマのために生まれてきたドライバーは、ごったがえしている群集の間をうまい具合に走り抜けた。
「自動車を運転しているのだという感激のほかには何も覚えていない。歓喜は二度と味わい得ないほどのものだった」
彼は、街中でクルマを飛ばしては、焼け出された人を運んだ。そして少なからず稼いだらしい。

さらに、関東大震災で焼けただれたままの大量の自動車を、早業で修理し、かたっぱしから試運転をして飛ばすように右から左に売り続けたのである(売るのは主として主人ではあったが)。
手に入らない木製スポークなどの部品は自分の手でつくって組み込んだというから、たいへんな器用さが火事場によって引き出された。

この頃経営者精神は培われたのである。

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